人は自由という刑に晒されている。〜サルトル〜
うごくちゃんがうごかなくなったときに、SNS世代が単なるバカだと思わなかった。
カオスフォレストに衝撃的な新人類たち、しょみんとKazuが誕生した。
若者たちの神々の一人で有名な古田更一(浅田彰や糸井重里のような仲間)は、冷や汗をドバッとかかせられた。
しょみんくんとKazuくんとの出会いは衝撃的な出来事だった。私はとうとう批評系YouTuber、軽薄すぎる加速主義者!、消費スピードの速い日刊文化人、(毎日投稿)批評系YouTuberの私がもうオワコンになったことを知らせてくれる出来事だったのである。
まずKazuくん。英語で自己紹介を書いてよと話し半分に音楽家、つまり彼へ話したところ、スラスラとEnglishが送られてきやがった。いや、英語で書けることだけが重要なのではない。そのラリーの速さ、テンポの良さもよかったのだ。いきなり批評系YouTuberという化け物たちがひしめき合い、そして、炎上やいいね集めという他者の強烈な視線の前で、いきなりイングリッシュ・ライティングを提出するということは、炎上といいねわるいねに潰されるということだ。そして、僕ら若者たちの神々(古田、静、ロルフ=浅田彰や野々村文宏、西部邁のような仲間)もいる。プレッシャーは冗談じゃない。でも、出せた。そして、イラストも出せた。んで、本業の音楽も30分も出してきやがるときた。デザインやプログラムにも関心があるらしいし、思想書もかじれるだけかじろうとする。この圧倒的な吸収力の速さ、速度、元気なアンタンシテを全面的に歓迎したい!ああ!速いよ!速すぎる!
だからさぁ!ふぃ〜…。SNS世代だとかZ世代とかマジで嘘だと思うよ。
確かにSNSに被れて、周りの目線も気にする傾向もあるし、表面的なコミュニケーションが多そうだし、だしだしだし。
だからこそ、気にしている場合じゃあねーだろ!?
って、むしろSNS世代だからこそ、反SNS的な要素を帯びる勇者も出てくるんじゃあないかしら?これが本当の真人類かもしれない。舐めるな。マーケティングごときでは言語化されない。あくまで批評でしか言語化されない!
ボクたちはYouTuber(バカ)じゃないってこと。
いつだって考えているヤツは考えているし、それがSNSだろうとしっかりと考えているヤツは必死で考えている。行動している。
そして、しょみん事件(参照文献 カオスフォレスト戦記3章 君の名は。以後世代編)が今回発生した。あまりに現代社会の無理難題、あの東浩紀と宇野常寛が諦めて、若者たちの神々である僕だけがやり遂げようとしている本当のジャーナリズム、批評、つながらないものとつながらないものをつなげようとすること、具体的に言えば、vutuberという下品なポルノ的なものと芸術、この両輪を兼ね合わせるものを作ろうとすることこそが、本当のクリエイティヴだと勇み足に主張した。
しかし、あまりに重い。重すぎる…。芸術家の彼はあまりに芸術家たらんとしすぎて、vutuberを「下品」だと暗に認めてしまい、あまりに下げまくったことでどう下品と自ら批判したものを「すごいものであるのか」、そして芸術とつながっているのかを膨大な論理能力、そして、比喩能力で説明しないとならないレベルの話をしてしまったのだ。古田ですらカオスフォレスちゃんは最近起動してないんだから…。とほほ〜…。ようするに問題提起は200点だけど、あまりに200点を取りすぎて、問題解決は0点だったというわけだ。
フゥ…。誰もまだ解いていない。そりゃそうだ。東浩紀、そして、宇野常寛たちはオンラインサロンに引きこもり、若者たちの神々である落合陽一と古田更一たちがかろうじて若者のふりをしてあげるぐらい。
もうお手上げなんだよ。
人類ただ一人が人類がまだ解いていない難題を想像しようとした。てか、これって「そ、それでも…。今回の1年かかるシナリオアニメは…その問題を解決しちゃいますから…」って予告、フラグなの!?ねぇ?!そうなの!?
ああ!まさに新人類!
ようするに偏差値80クラスの問題を提示して、それをどうにか解こうとしている。そりゃすごいけど、それを理論レベルであまりに早く飛ばしてくるのはどうなのかという不思議な剣幕すら感じてしまうのだ。
ハイテンションのアンタンシテ、強度のある元気な冒険はここで幕を閉じる。
…。もう一度繰り返そう。
うごくちゃんがうごかなくなったときに、SNS世代が単なるバカだとは思わなかった。
死んだ。
もちろん純粋な意味での心の弱さから死んだと思うし、まだ22歳だったという。
ははは。
いや、強いんじゃないの?って逆に思ってしまったんだな。
いやかわいそうだし、かわいそうだ。そりゃそうだよ。だけど、批評系YouTuberをやっているから分かるが、YouTuberは危険すぎるー。セクハラとレスバトル、上司とのヤッカミ、僕は神々の運営者側だから気にしないけど、いいねわるいねの緊張感。んでんで、ゼッテーにメンヘラでもあるでしょう。
普通だったら、精神病院に入るような(てか、入っていたらしいッス)そんな女の子が芸術家たらんとしたことに僕は驚いた。
ここでただかわいそうだもしくはどうでもいいと悲し泣く=笑い泣くはドッチも偽善=露悪だ。
しょみんくんともお互いに話したが、死ぬほどそんだけ真剣にやり遂げたんだなってこと。
いや、無理だよ。これは。普通。ねぇ…?
そうだよ。SNSはスキゾ・キッズ、ヤンキーだヤンキーだうおおおおなガキたちの戦場である。己がメディアとなり、しのぎを削り、数学的なゲームからどうにか解放されようと頑張っている。
ぶっちゃけ可愛そうなのは、大学受験、「東大なんか」よりも、ずっとずっと階級やいいねを気にして、努力の努力の努力をし続けないといけないこと。意外なことに周りの目を気にしてナヨナヨしているという俗説もあるけど、むしろ逆で、歪にも、人間関係、愛情や友情、サブカルチャー、そういった本来の遊び場なのに、遊びで24時間仕事をしろ!と急かされている超ブラック社会でもある。ああ!この歯を食いしばったピエロ!遊び場で努力しろ!と急かされるパラドクス!
言い訳にならない形で言いたいのは、そんなに頑張らなくてもいいよってことでもあると思う。うごくちゃんやvutuberは必死に日常をニチジョウさせられている。
そっか。たまには非日常(本当の日常)、努力しなくてもいい日常でもいいじゃない?って瀧くんみたいなヤツに肩をポンポンと叩かれていればよかったのに。
熱狂ノ熱狂。
ぶっちゃけ躁鬱病の病気だ。
努力はすごいし丁寧だけど、どこか深層ではもっと泥臭くて大変な目にあっているんだろうなっていう無理しすぎな危険性も感じてしまった。もちろんそこが魅力でもあるんだけど。
あーあー…。浅田彰(62)のロボットみたいな顔が僕の耳元で囁いている。
「80年代も有名人の自殺者が相次いたけど、ボクが逃走したゲームが、またキミたちの前に立ちふさがったようだね…。マスター、聖杯戦争は20年周期で実行される。鬱病の時代と躁鬱病の時代を20年周期で交代する。ボクが以前使えたマスターは鬱病と闘っていたが、キミはボクがプレイヤーだった頃と同じ躁鬱病のゲーム、経済そのものと闘っているんだね。貨幣経済というものを人間の評価係数で当てはめていく。それが差異化の果ての結露だとしたら、死んだボードリヤールもバラードも真っ青でしょうね」
「うるせっ!」バシュンッ!
「…」
「…」
ボクは理論整理バツグンの便利な英霊辞典、サーヴァントである浅田彰(62)の図太いメガネを叩き割ったが、彼のロボットじみた表情は一向に変わらないし、チビちい背格好も変わらない。ボクは言った。
「おい!アキラ!どうすればいいんだ!?」
図太いメガネのずり落ちたアキラ(62)は言った。
「ボクがアメリカのディズニーランドまで行くぐらい遊園地が大好きなのはキミレベルなら認知して当然だろう」
「ああ」
「もう一度!遊園地を作り出すこと!リゾームみたいに!ただし!キミらの時代は、SNSを意識して!」
「ああ…。そうか…」
「すまない。ボクは後存知の通り、スポーツ以外だったらなんでも知っている。しかしそれは逆に言えば、スポーツ、闘争自体はできないということです。理論整理が出来うるということは、実行するほど手を汚す覚悟がなかった。つまりボクは才能がないのです」
シュー…。したり顔の天才老人少年(62)はシュールに消えた。
そうそう!何を言いたかったと言えば、熱も大事だけど、どこかこの街、SNSは狂乱で騒がしいということだ…。ワンワンワン!ニャーニャーニャー!というもはや感覚レベルの騒音が日夜エンドレス騒ぎ始めている…。う〜キツいぜ〜…。
はぁ…。新人類の登場を祝いたいところだが、どこか人類レベルを超えた「新」人類、身体がチギレそうな感覚レベル、4次元レベルの骨董無形な背伸びをしすぎて、もはや自分で自分を潰してしまわないか心配な気持ちに些かになってしまう。
人類は人類なのだから、新人類も人類であること自体は乗り越えられないはずなのに…。
ああ。絶望と希望がない交ぜになった2021年の1月25日(特に意味はない)。
冬の朝7時36分に都心の駅ホームへ向かったら(よっしゃ!ジャスト!遅刻はしない!)、色とりどりのマスクを必死でつけた大群たちが高速の足取りで仕事へ向かっていた。