ゼロ年代コンテンツ組から20年代SNS組へ。君の名は以前と君の名は以降。

  進撃の巨人の連載がそろそろ終わると聞いて、ああ僕の青春も終わったんだなと思ってきた。

 若い奴は若い奴でも絶妙な年の違いで見てきた風景の違いというのが感じられる。もちろん印象論も否めないが。

  東浩紀やひろゆき、ホリエモンの現役時代を知っている世代、デスノートやガンツがリアルタイムで連載していた頃にドッブリとサブカルチャーに浸った世代と、SNSをみんながやっているのが前提にあり、君の名はや鬼滅の刃が中高時代に大流行りした時代ではかなり見えている世界観に落差がありすぎる。

 なぜ世代論をこんなに強調するかと言えば、テクノロジーに対するリテラシーが圧倒的に良くも悪くも違うから、コミュニケーションのスタイルも180度違うと言わざるおえないからだ。

世代が多少バレるのは仕方ないが、俺が中高の頃はニコニコ動画の全盛期であって(大雑把なので推論不可能)、ライトノベルと漫画、そしてそれをSNSで茶化すニコニコ動画が流行っていた。しかし、あくまでニコニコ動画は一部のオタクと文化エリートしか見ていなかった。それにボカロもだが、漫画やアニメのキャラが前提にあり、SNSの前提はあまりなかったように思える。

 中途半端な世代だが、ニコニコ動画よりも人気だったのは、シバターやたれぞうだった。この二人を知っている人間はたくさんいて、だが、あくまでYouTuberはいい意味で大したこともないコンテンツというSNSをメタ的に養う目線が我々の世代にあったのだ。あくまでガンツや進撃の巨人の方が上であり、SNSはいい意味で茶番だよねという視座があった。

 また、ツイッターをやって他校や大人と喋る人間も、ほとんどいなかった。私の知る範囲だと学年に私含めて5人ぐらいしかいなかった。一応はアカウントを作ってはいる人々はたくさんいたが、学校用で鍵垢であり、有名人にクソリプを返すぐらいはまだなかった。

 SNSよりも漫画やアニメ、ライトノベルで育った世代は、SNSのいいねわるいねをあまり気にしない傾向を感じられる。その代わり、パワー系コミュ障の比率が多くて「普通の意味でうつ病」になったり、協調性が低い気がする。

 一方でSNSありきで育った世代、君の名はや鬼滅の刃世代(傑作だと思うが、メッセージや残酷さがゼロ年代とは異質)は、SNSのいいねわるいねを気にする傾向を感じられる。その代わり、論理性や協調性が高く、哲学書やビジネス書をよくリテラシーがゼロ年代組よりも高い。内向的なコミュ障が比較的に多いのかもしれない(そんなに会ってないから単なる予想)。

 ゼロ年代若年層組は奇妙な世代で、デジタルネイティブだけど、あくまで漫画やアニメの補完物、ネタとして消費する感性特化であり、SNSありきで育った20年代組はSNSのバズりやコミュニケーション能力、論理性が前提の社会で、コンテンツはあくまでコミュニケーションの糸口、酒の肴としてしか機能していない。

 進撃の巨人やガンツ、フェイト、ホリエモン、ひろゆき、東浩紀が機能していた時代から、鬼滅の刃、君の名は、FGO、箕輪厚介、遠藤チャンネル、落合陽一の時代へ。文系から理系の時代へ。感性から理性の時代へ。コンテンツからコミュニケーションの時代へ。

 ここに大きな開きもあるし、大きなチャンスもある。

 

 

 

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