音楽はどうあがいても恥ずかしい。
ヘドロのカスでクズでゴミでゲボでゴミだと言っていいだろう。
だって、中身のないレトリックだけのポエムなんだもん。
音楽はどうあがいても恥ずかしい。
偽善、偽善、偽善、偽善、偽善、偽善、偽善、偽善、偽善、偽善、偽善、偽善、偽善、偽善、偽善、偽善、偽善、偽善、偽善、偽善、偽善、偽善、偽善、偽善、偽善、偽善、偽善、偽善、偽善、偽善、偽善、偽善、偽善、偽善、偽善、偽善、偽善、偽善、偽善、偽善、偽善、偽善、偽善、偽善、偽善、偽善、偽善、偽善、偽善、偽善、偽善、偽善、偽善、偽善、偽善、偽善、偽善、偽善…、
幼稚、幼稚、幼稚、幼稚、幼稚、幼稚、幼稚、幼稚、幼稚、幼稚、幼稚、幼稚、幼稚、幼稚、幼稚、幼稚、幼稚、幼稚、幼稚、幼稚、幼稚、幼稚、幼稚、幼稚、幼稚、幼稚、幼稚、幼稚、幼稚、幼稚、幼稚、幼稚、幼稚、幼稚、幼稚、幼稚、幼稚、幼稚、幼稚、幼稚、幼稚、幼稚、幼稚、幼稚、幼稚、幼稚、幼稚、幼稚、幼稚、幼稚、幼稚、幼稚、幼稚、幼稚、幼稚、幼稚、幼稚、幼稚…、
虚構、虚構、虚構、虚構、虚構、虚構、虚構、虚構、虚構、虚構、虚構、虚構、虚構、虚構、虚構、虚構、虚構、虚構、虚構、虚構、虚構、虚構、虚構、虚構、虚構、虚構、虚構、虚構、虚構、虚構、虚構、虚構、虚構、虚構、虚構、虚構、虚構、虚構、虚構、虚構、虚構、虚構、虚構、虚構、虚構、虚構、虚構、虚構、虚構、虚構、虚構、虚構、虚構、虚構、虚構、虚構、虚構、虚構…、
どこまでも音楽は、非生産的で、偽善かつ幼稚で虚構だろう。
だからこそ、自己批判の精神を徹底的に保たないと、究極の歌は生まれない。
自分の身体を焦がすほどの、魂が揺さぶられるようなパトスー、エメラルド・スプラッシュ!
この歌には、音楽の否定しかない。
のっぺらぼうだ。
辿り着けない薄幸の少女を踏み潰すのは、君自身なんだ。そうだ!音楽を聴いて、逃げている君自身だ!そうだ!そうだ!そうだ!逃げる逃げる逃げる、逃げて、逃げて、逃げて、お面を被った露悪なニヒリストに君は少女を奪われる。
逃げて逃げて逃げて、嘘の嘘の嘘ばかり重ねるから、ずっと闘争からの逃走は終わらないし、理想はずっと掴めない。
そして、ニヒリストのお面を剥がす時がやってきた。
そこで気づく。
自分を遮ってきたお面のニヒリストこそ、己自身だったことが。
絶望的ラスト!
「能動で生きているの?生かされているの?」
ハッピーエンドという理想の少女を掴むのは、能動で生きている、つまり黒い自分ともしっかり向き合う勇者だけなのだ。白い白い綺麗な主人公だと思い込んでいた男は、実のところ、黒いニヒリストだったのだ。SNSの歌い手やゲーム実況者の笑みに黒い影がよく見えるのは、彼らが強いから成功したからではない。弱いのに、強さへ向かう死の躍動という葛藤があるからだ。怖い、怖い、怖い。不安だ、不安だ、不安だ。助けて、助けて…、どうすればいいんだよう〜…、
叫
び
ー
。
音楽は…。やっぱりどうあがいていも恥ずかしい…。
しかしー。偽善者が炎上を直視し、他人へニヒリズムを振り回さず、己へ!振り回した時、
くだらないくだらない演技、嘘の人格を嘘の人格をやめたときに…。
本当のハッピーエンドに到達できる。
音楽はどこまでもどこまでもどうあがいても恥ずかしい。けど、だからこそ、その「絶望」へ向き合えたときには…、
能動で生きているの? 生かされて
いるの?