△歌い手というハッカー△ヤンキーだヤンキーだ現状維持の無敵め うおおおお

『ずっと真夜中でいいのに。』の『お勉強しといてよ』は、現代社会の可能性と限界を端的に表すムービーミージィックだ。

 数学的アルゴリズムのゲーム的な世界観に支配された若者たち、特に少女たちは、音楽という私的な詩的感性、非合理じゃあないと、このSNSの合理性、経済空間と現実の政治空間を乗り越えることが不可能であることを如実に表している。

 僕は人災の博物館や批評系YouTuberで、現実と虚構の境がなくなるヴァーチャルリアリティー、トゥールマンショー、アニメやドラマのセカイにみんなが閉じ込められているのが現代だと指摘し続けている。

 今の若者たちは生まれた時から、賢い消費者として、評価経済、いいねかわるいねかという「人間自体の貨幣化、総1億東大受験社会」を強いられている。一見成り上がるチャンスがあるけれど、一方で数的モデルを熟知して、かつ現実の政治空間で強い大人たちがそもそもメタプレイヤーとして有利であるように構成されているわけで、プレイヤーである時点で今の若者たちはリスクを強いられる単なる使い捨ての駒に過ぎないのだ。そのことを提唱するために、カオスフォレスト、つまり、変人な大人たちがYouTuber界隈へ舞い降りたという次第だ。

 お勉強をしておいてよ、は、明らかに、勉強=大人が子供へ強いる枷をバカにしているし、ソレがバカバカしいと感情や直感では思いながらも、数学も政治も熟知していなくて、彼らに勝てず、だけど!登録者は100万人とかいるし!詩的感覚でどうにか突破しようともがいているということである。

 BE BE BE 勉

 とかから見ても、勉強をディコントラクション、脱構築、大人が子供へ貸してきたSNS自体をどうにか反抗の道具として使えないか模索しているのだ。

 木村花が自殺し、うごくちゃんが自殺したのは、結局のところ、評価経済、シュビラシステムの充実な駒に過ぎないからだ。どんなに過激でもお客様サービスを強いられる演者、魂を社会へ完全に売り渡した自分の選択、自分の意志を完全に放棄した弱い子たちだからである。そこにSNSのコメント欄という暴君の偽善的なアドバイスでやんわりと批判されて、最終的には自我が崩壊し、自殺するしかない。演者がゼッタイに危険なのは、現実空間の肉体や脳にも影響を来すからだ。合法的な薬漬け、マインドコントロールである。木村花やうごくちゃんというアニメじみたキャラクターになれ!とクソオタクどもとクソ大人どもへ強制されていく。生権力、自らそこを選ぶしかない弱い人間たちへ役割を与えていく。

 しかしー。大人とコメント欄たちをハッキングする方法は存在する。

 音楽である。ロックなローテンションである。

 音楽は、早口だ。演者と違い、掴もうと思っても、ヒラヒラと舞うヘルメスのイタヅラ神のようである。演者と違い、詩的すぎる非合理な表現は、評価経済の数による競争とアルゴリズムによる数的処理、現実の政治空間とは、圧倒的に乖離している。

 もちろん、弱い。彼女たちは弱い。あえて音楽を選択したのではなくて、音楽しかなかったのだ。

 彼女たちが無意識にもたどり着いた可能性の断片を僕は全面的に応援する。

ヤンキーだヤンキーだ現状維持の無敵め うおおおお

(ちなみに。紅白はコロナのソーシャル・ハザード、現実の政治空間に音楽家が表現性で負けた象徴だった。というわけで、星野源たちよりも遥かに批評性、実践性が高いのは、紅白という現実の政治空間のオモチャである無観客の歌手たちではなくて、インターネットというメディアの評価経済としっかりと闘いながらも、巧くソッチをコントロール、ハックしていくハッカーとしての歌い手たちである。肉体をあまりに出すと、演者として操作されていく。今年のコロナ無観客紅白とは、音楽家の敗北であり、音楽家はSNSへ向かわないとならないという証明であった)。

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