自粛の損失を、もっと広い目で捉えろ

また緊急事態宣言が発出され、世の中は自粛自粛のムードになっている。
はっきり言ってしまえば、私はこの状況に激怒している。

ロルフは激怒した。必ず、かの邪知暴虐の世論を除かなければならぬと決意した。ロルフには医療がわからぬ。ロルフは、歴史批評家である。本を読み、文章を書いて暮らしてきた。けれども世論のおかしさに対しては、人一倍に敏感であった。

何に対してそんなに激怒したのかと、疑問に思う読者もおられるだろう。
私は、コロナを恐れるあまり自粛ムードの弊害を軽視する連中に対して、怒っているのだ。

ネットでは、自粛すれば経済が大ダメージを受けるという主張をよく見る。それに対して、経済的な損失は政府が補償すればいいというのが、中野剛志ら反緊縮財政派の主張だ。
たしかに、財政出動によって補える損失も大きいだろう。しかし、自粛によって失われるのは、そうした金銭的利益だけだろうか?

人間の社会活動は、必ずしも目先の金銭のために行うものではない。
他人とのコミュニケーションが心の拠り所になってる人もいるし、将来のために今頑張ってる人もいる。こうした活動を「自粛」してしまえば、そこで失われるものは金銭として数値化できないだろう。私自身、2020年は海外留学の予定が潰れ、他にもやろうと思っていた色々なことが出来なくなった。
また、自粛を通じて多くの人々が受けるストレスの問題も計り知れない。健康とは、肉体のみならず精神が安定した状態であることを指すのであって、ウイルスを防げればいいわけではない。
何より、これだけ大規模に社会活動を自粛すること自体が、未曾有の事態である以上、それによる損害を給付金だけで埋め合わせられると考えるのは楽観的すぎる。

私は、休業補償などを行うことに反対しているわけではない。補償できない損失(主に機会の損失など)があることに想像力が及ばないくせに、やたらと自粛を煽るのは無責任だと言ってるだけだ。
仮にコロナの蔓延を抑えられても、後々になって過剰自粛の副作用も明らかになるだろう。
今の時点でもそうした副作用を訴えるのはもちろん重要だが、数年後に検証することも必須となるだろう。
今後も、数年に一度のペースで新しいウイルスが現れるに違いない。その時のためにも、過剰自粛の弊害を、事後的であっても検証するべきなのだ。

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