俺が天才なのは分かるが、俺を天才だと消費するのは根幹がおかしい。

 東浩紀や中野剛志、宮台真司の大半を占めたダメな信者系は俺にはいらない。

 天才という怪獣カテゴリーで消費されたら、おしまいだ。天才だねと言語化されるほど無能な奴らのくだらない養分にされていることはない。

 俺未満のくせだと認めながらも、なお真面目になれない方々の変な主観は圧倒的に潰していくことが重要であるという話。

 一応は経済成長をどうたらとか今の社会がどうたらか考えている時点で真面目にならざるおえないし、恥ずかしく熱い話をしているのは自明なことだ。

 そして、そこで変に恥ずかしがらず、そして、変に茶化さず、冷静にクールに論理だけをパシッパシッ提示していけば、元々から熱い話をしているという前提は伝わっているものだと思っていた。

 しかし、そもそもの前提である真面目な話をすることが聴いている本人たち自身の脳髄が熱くなることだという前提が、まったく共有されていないことに気づき始めた。

 マクロ経済だとか漫画家だとか圧倒的にイタすぎることであるし、批評チャンネルということがそもそもイタいことであるだろう。

 俺がたまたま不謹慎な割にはチャンネル登録者が多く徐々に増えていき、話に実力があるから受けているかもしれないが、重要なのは、そこで成功しているか否かではない。成功している賢い俺ばかりクローズアップされるのはマジでクローズなセカイであって、権威的に優等生的に俺が消費されているということで、東大と同じ悪い意味でのブランドとして雑に消費されているだけだ。

 つまり、批評家のプロとして消費されるのは、安全に消費されていることと同じことなのだ。

 元来、オタクも文学もYOUTUBERもクソみたいに終わっている話だ。

 ただし、YOUTUBERが終わっているのは、そもそもがネタ、素人芸で雑魚ですよ〜と開き直りながらも、視聴回数や登録者の量でプロですよね〜と承認されたがっていることだ。

 単なるマーケター以上にタチが悪いし、うごくちゃんのように木村花のように本質的には一過性で忘れされていくだけだ。

 とにかくYOUTUBERとその視聴者たちの真面目のメリットと不真面目のデミリットのいいとこどりをしたい人々からの変な賞賛と変な攻撃、同時進行で言っているクズさには反吐が出る。

 YOUTUBERの大半が成金やメンヘラ、企業なので、今までは企業以外となら、共依存的になあなあでそんな気持ち悪い関係性で維持できたのだろう。

 だが、自殺志願者やメンヘラ、そして、成金の心の弱いヤンキーたちなぞどうでもいいし、擁護する気はない。彼らから好かれても、使い物にならない。

 2021年はどうやって量ではなくて、質で対抗できうるか。そして、プロ批評家だという訳の分からぬ呪い的レッテルをどう壊すかが鍵となる。

 たかが哲学の偏差値80クラスを知っていたが、そんな万能な俺を見ていることで酔っている無能たちをどう減らしていくか。

 こんな原点は当たり前だと思っていたが、そもそも病気な彼らはこれが分からない。だったら、当たり前の熱さを改めてしっかりと露骨に剥き出しにすることが重要だろう。

 俺は残念ながら野心がないのに、頭の回転が早すぎるので、これが本人としても最大の悩みだった。2021年はしっかりと司会者ポジも捨て去り、主観をもっと弾き飛ばそうと思っている。

 

 

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