日常という希望的クソゲー。つげ義春批評。散歩の日々と無能の人。

 あっはっはっはっはっはっはっは…。

 頭が痛くなる。

 どうしてこんなにも不幸すぎるストイックな病人に俺は引きつけられてしまったんだろうか。

 今からでもいい。この文章は読むな。

 つげ義春を真剣に読むということは彼が一生涯背負った辛さとリアルに直面しないとならないからだ。

 これ以上に恐ろしく、そして!愉快なことはない。

 たとえば、散歩の日々。これほどのホラー漫画が世界にあるだろうか?

 プロットは大したこともない。つげに似た売れない二流漫画家が毒にも薬にもならない散歩をする日々を語り、そして、100円程度のギャンブルで負けて、最終的に100円程度をくすねる、泥棒するというわけの分からぬ話しだ。

 俺は一体何を読まされているんだろうか!?

 そう読者は戦慄させられる。ひたすらに内容のないようなつまらない日常の羅列。なぜどうして漫画という虚構の世界でまでも現実のつまらなさを味わないといけない!?

 冷やっとするのだ。そして、恐ろしいのは、主人公が「そこそこの成功者」ということである。

 二流の漫画家だし家庭もしっかりとある。

 ただしー。

 つげに似た主人公は水木しげる辺りの作者にコンプレックスを感じ、そして、ギャンブルにも動揺させられる。

 もうそこで終いにしてもいいのに?

 冗談じゃあない。ダメだ、ダメだ、ダメだ。

 日常は、恐ろしい。努力してそこそこ成功しても、いやまだ俺にはできるのだ…という魔の手が重力を落としてしまう。この日常というリアリティーの怖さ。

 して、ほとんどの人間は心中は穏やかではないのではないか?

 美人も金持ちも天才も何もかも。

 そうだー。全部が欲しいし、もっともっと。そして、小さなズレが痛みとなってズキンと頭痛させてきやがる。頭痛のする毎日でした!ああ!シンプソン!

 つげ義春の漫画はリアルを直視してしまう。

 なのに、何も答えなんかくれない。

 生きている!日常が!あああああアアアアアアあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!

 際限なく感じる!生きていることの怖さ!不可解さ!広さ!

 ひたすらに日常の羅列をするこの怪物の物語には、オチというハッピーエンドがない。

 物語。そう。物を語る。ストーリーを語るということは、どこかでゴール、ハッピーエンド、もしくはバッドエンドをくれないと終わらないのだ。

 しかしー。リアルをどこまでも、虚構という現実逃避でも書こうとする場合、どうなる?

 そうだ。終わらない。終わらない。悪夢は終わらない。日常は続く。ずっとずっと続いていく。

 ずっとずっと成功を維持しろ、そして、不幸を回避しろと急かされる。この不自由さ。

 つげ義春を真剣に読むということは恐ろしい。っていうか、作者の立場に皆はなれない。発狂してしまうからだ。彼が何度も何度も精神を抹消して倒れてしまうのは、彼が自分を追い込むことをしているからだ。

 漫画なんか描きたくねーよ…。

 彼はもう何十年も漫画を描いていない。

 当たり前だ。彼の描く漫画は現実の恐怖そのものだからだ。なぜ現実こそが生きることそのものが神秘で恐怖なのに、わざわざ漫画というフィクションでもノンフィクションを味わう?絶望の先の絶望。

 おカネを得たから、彼はずっとずっと過酷な旅に出るのはやめた。

 身も蓋もないが、彼はおカネが欲しいから、漫画を描いていた。そのリアリティーも確かにあったのだ。

 一番怖いのは、日常であるということをつげ義春は分からせる。

 無能の人や散歩の日々、といった舞台は、実際につげが訪れた場所がよく出てくる。作者も舞台のお店に行ったことがあるが、漫画に出てくる人にも会ったし、漫画通りにお店の店内が際限されていて、彼の描写力には驚いた。

 ああ。しかし!つげ義春の絶望は愉しい…。

 彼の感性が、戦後の焼け野原であることは疑いようもないだろう。

 このどう足掻いても絶望感。

 最後に、絶望すぎる絶望こそが、希望なのだという逆説の逆説を提示しよう。

 彼の一コマ一コマは笑える。え?たかが100円を盗むだけ!?え?そこそこ成功しているのに、発狂する!?え?石屋という職業!?

 よく言うぜコイツとナンセンスにゲラゲラと笑ってしまう。このお笑い感。

 つげは分かっている。自分の絶望が他人から見たら、滑稽に大したこともないことが。せっかく東大生になっても、渋谷のスクランブル交差点という群衆、他者に晒されたら、誰も東大生として見てもくれないことに気づくだろう。YOUTUBERをやって良かったのは、批評に関心もなく、東浩紀も知らないような方々と異種格闘技戦を展開できたことだと作者は思う。何が批評の未来だ。笑えるぜ。

 マジデソンナコトハドウデモイイ。

 そんな絶望にも似た希望を抱えながらも、つげは開き直らず、美しい格闘記録を俺らに見せてくれた。

 あなたは眩しい。

 現実の厳しさをとことんまで直視した上で、ああ!どうにでもなれ!と絶望とともに笑いながら希望するユーモア。

 この黒い天使、堕天使的な強さを頭が焼けるほど読み通すことが重要だ。自分の体験に落とし込んで…。グッ、身も心もハチキレソウダァァ…、

 あゝ!漫画の登場人物とは俺のことだったのか!?

 読者がそんな絶望に落ちた時に、つげはニッと笑うだろう。ようこそ、俺の世界へとな。ざけんな。

 しかし、答えなぞない。しかし、答えがないのが、本当に役に立つ答えだとしたら?

 オチがなく、無限に続く悪夢的なラストページをめくった後は、読者自身が漫画の登場人物のように続きを己でやらねなならない。

 あアアアアアアああああああああああああアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!!!!!!

 頭を掻き毟り、天才の投げやりな感じにはため息をつく。このクソゲー感。

 しかし、漫画を破り捨て、この世界そのものをもう一度直視してみよう。

 黒く輝いた深夜の宇宙。それでも、冬の大三角形は死ぬまで億万高年燃えている。

 

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