ド貧乏で嬉しい東大生。いいねは金を超えるのだ。

 お金なんかよりも、居場所が欲しいー。

 これが仕事のあり方全てを表していると思うのよね。

 たとえば、FX投資をしたり、長期投資をしたりすれば、長期的には確率論的には、将来には仕事せずとも早くセミリタイアできる。

 もちろんそんな上手くいくはずはあるまい。しかし、お金のことをしっかりと考えていたら、パートナーの主婦に少しでも働いてもらえば、生涯2億円もの相対賃金を稼げるし、となりの億万長者に書かれている通り、平凡なサラリーマン家庭でも年10%の貯金をしていれば、億万長者になれるという統計データもある。もっと平凡に言えば、お金のメカニズムを熟知し、確率論的に、なんらかの形で貯蓄したり投資すれば(単なる節約でもいい)、誰でもお金に困らない生活が統計データ上は送れるという。

 もちろんこれは単なる幻想であって、人々はお金よりも、政治活動、見栄ややりがいをほとんどが重視しているということだ。悪いとは言っていない。ただ仕事とは何かを具に考えたら、お金ではなくて、もちろん単なる自己実現でもなくて、もっと他人との相互による贈与、社会に貢献しているかどうかという居場所の構築だと思われる。

 簡単に話そう。今では儲かるのは色々と少なくなってしまったが、ラブホテルの経営者が儲かる時期があったらしい。単純なゲーム理論の話でラブホテルの経営者になる人々はエロ好きであり、経営センスやマーケティングセンスが少ない人々が多かったからだ。つまり、穴場である。しかし、当時の優秀な若者たちのほとんどは、週6日以上働く大企業や、大リスクもある金融市場の方へ就活していたとのこと。案外、普遍性のある話しで今でも通用する話しだ。いくら期待値、少ない労力で勝てるラブホテル経営者という仕事でも、お金よりも社会的な包摂を求める人々には嫌な話しなのである。

 仕事を具体的に煮詰めて思考した時に、学歴がなぜ大事かというのは当たり前の話になってくる。

 政治や宗教的に社会の信用、社会の決めたルールでコツコツ静かに努力してきましたよというパスカードが大事であって、ただFXや漫画などで1発当てたとかなんとかは、全く社会的な信用に値しないのだ。お金や非合理なものへの実力が欲しいのでなくて、社会的な儀式としてアベレージに役割を担ってくれる演技を演技だと疑わない人々の育成が何よりも社会制度を安定的に維持するためには大事になってくる。

 私はどっちが悪いとも思わないし、どっちが良いとも思わない。ただお金がなくて…困っているという9割以上は単なる的外れであると申したかったのだ。大事なことは、自分自身がどういう人生設計をしたいのかをつぶさに考察し、ありきたりにお金が必要だとか、いや、仕事はやりがいなんだ、仕事は役に立つんだとか、極端な話しを避けることが大事になる。

 貴方のやりたい仕事は、本当にお金を重視して、社会的信用を軽視したホリエモンやひろゆき的な生き方か?もしくは、芸術を重視して、社会的信用も失うし、お金も少ないが、そこまで自己表現をしたいのか?もしくは、お金もそこそこしか手に入らず、自己表現はなく、大衆に収まるしかないが、社会的信用を手に入れて、一生、人間関係などの摩擦があまりないことを保証されたいのか?

 プラグマティズム。

 どれもメリットもあり、デミリットがある。結局のところ、バランスをとって、ポートフォリオを打つのが一番の策とは言え、ここらを曖昧にして、ホリエモンになりたいし、庵野監督になりたいし、東大生になりたいは、本末転倒だ。基本的にこれらの3つのキャラ、どれかを選択してしまった段階で、他の選択肢はまあリスクとして背負う失ったものだと思った方がいいだろう。もちろんバランスの問題であって、その自覚から、芸術にも経営センスやマーケティングが必要と分かったり、学歴競争や就活にもアート的な審美眼によるメタゲーム理論という差別化があるし、コンテンツという第3次〜4次産業こそ儲かるというビジネスのパラドクスなどもある(消費社会から情報社会へのスライド、前澤社長のお年玉キャンペーンや現代アートに夢中などは、その最たる例だ。経済と芸術は根っこではつながっている)。

 結局のところ、本当に経済センスのある人間、もしくは、本当に芸術センスのある人間は、ここらへんを直感レベルに意識している。だから、案外、一流のクリエーターが書くビジネス本などは、森博嗣よろしく、かなり面白い。

 その人が何を捨て、何を得たのか。そして、違うジャンルと意識的になって、差別化をしっかりと計っているのか。

 誤解して欲しくないのが、ホリエモンや東浩紀がスゴイから、この文章をしっかり理解できるインテリになったり、個人強者になれと言っているのではない。むしろホリエモンや東浩紀的な発想であまりにビジネスを見ると、大半のみんなが得たい信用は得られないということである。

 あまりにミクロ経済すぎるのも、あまりに経済哲学すぎるのも、本当にプラグマティックに経済を仕事を分かったと言えるのか?

 この問いを直感レベルで意識しているかどうかが、ビジネスをしないビジネスをしようとも大事になってくる。

 本当にそれは無料なのか?本当にそれは実力なのか?そして、無料じゃあないし、実力を問わないのは間違えているのか?

 しっかり考えろ。経済とは、とどのつまり、単なる生身の人間たちとの対話である。

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