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落合陽一の次なる予告されたインターテキスト、マタタギドライヴが待ち遠しい。
はっはっ。
笑えることに、ダンガンロンパの作者、小高大先生が先にアクダマドライヴたるアニメーション、いや、小高思想を世間へ公表した。ああ。時代は、ドライヴ、疾走感のある強さがあるかないかなのかもしれない。
抽象的で思弁する中身ない話しはやめよう。YouTubeライブのコメント批評家、井酢さんに叱れてしまう(くわしくはカオスフォレスト公式チャンネルのライブ放送#8を拝見しろ)。千葉や國分も私も井酢に中身ないと言われないよう、具体的な話をしなければならない。
そうだ。今、僕の前には、微温なデザインに侵食されたプラネッツvol.10がある。偽善的な風の谷へ逃走しかかる豆腐メンタルな批評家はさておいて、イチバンお尻にいるダーディな落合陽一の語り口には、なかなかに示唆深いことが語られている。
もちろん実践的な具体レベルだから、私なりに彼のマタタギドライヴをプラグマティックに要約しよう。
テレビからスマートケーションへ。それは、競争自体が、あまりに、ああ、あまりに細分化されてしまい、イチバンであることが最強のイチバンであることを証明しなくなったということだ。
東浩紀が批評の歴史がオワコンで右翼左翼がうるさい!と発狂するなか、マナル隊は、ふざけたコントをやりながら、ガハガハ笑っている。もちろんマナル隊には承認欲求という悩みはあるが、もはや、東浩紀になろうとも、マナル隊になろうとも、ただご飯を食べるだけのゆうぶひに憧れようと、
たくさんのジャンルだらけ、ようは、裸の王様だらけだということだ。もはや、東浩紀のように悩むよりも、プラグマティックに落合は分断する社会を活用せよと説く。
つまり、裸の王様どもになれないと絶望しすぎるにはくだらないし、また、裸の王様ぐらいある程度は細分化の社会では希望的になれやすいらしい。アイスクリームYouTuberとかがイチバンになる時代だ。
王様じゃないオワコンのオウサマ「たち」(オウサマだらけのパラドクス)だらけの社会では、他人との力比べから、自分なりの助走が大事になってくる。走れ!走れ!走れ!
次のドライヴ論をスライドするのは、僕でも落合でもダンガンロンパですら、ない。
君御自身だよー。