分からないって「おもしれぇ」。

 分からないことを楽しまないと、読書も学問もクソもないと思う。

 そもそも誰もマルクスもラカンもケインズも知らない。

 哲学者としてのマルクスなのか、経済学者としてのマルクスなのか、金遣いの悪いボンボンのオオバカヤロウのマルクスなのか、家族で笑いの耐えない父としてのマルクスなのか。心理学者としてのラカンなのか、不倫しまくるリア充なラカンなのか、私は対象aを発見した!と壇上で騒ぐラカンなのか。バレーニナと結婚したケインズなのか、ラッセルたちに憧れ、分析哲学、数学を志したケインズなのか、官僚だったケインズなのか、投資家としてのケインズなのか。

 完全に一人の人物を証明することは不可能だし、変に過信して、マルクス原理主義者にラカン原理主義者にケインズ原理主義者に、そして、マルクスラカンケインズ難しそうとビクビク震えるのは、どちらも誤読している。

 良い意味でビギナーズラックに、野次馬感覚で、それら間テキストな対象へ分からないなりに読み込むことが大切だ。

 分かった!マルクスは~!と決めつけたりするプロぶった詐欺師たちに騙されてはいけないし(彼ら自体の強迫観念的な狂信、依存こそ、強者ぶった弱者という真なるコンプレックスである)、変に自分には…とコンプレックスを感じる必要は、ない。

 分からない謎々はおもしれぇ~!

 そうだ。素朴な野心で取り組めばいい。

 考えることは、おもしれぇ。

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