【ロルフの書評】日本人論の危険なあやまち 文化ステレオタイプの誘惑と罠:髙野陽太郎著

こんにちは。ロルフです。週末に福島県に行った影響でブログの更新が遅れましたが、今週は書評を掲載したいと思います。

今回取り上げるのは、タイトルにもある通り、「日本人論の危険なあやまち 文化ステレオタイプの誘惑と罠」という本です。この本は、巷にあふれる「日本人論」への批判が主な内容ですが、そうした言説自体は聞いたことがあったり信じていたりする人も多いかと思います。
この場合の日本人論とは、ざっくり言えば、「日本人は集団主義的な民族で、欧米と比べて日本は同調圧力が強い」といったものです。

「集団主義的な日本」と「個人主義的な欧米」を比較する日本人論は数多く流布していますが、著者である高野陽太郎は、こうしたイメージには科学的な根拠がないとして批判的です。「日本人論」の問題点として、高野は以下の2点を挙げています。

・日本人論の多くは、個別の事例に基づいたものであること
・日本人論は、アメリカによる差別の一端として広まったこと

前者に関して真っ先に思い当たるのは、戦時中の日本人の行動を根拠に、日本人は集団主義的だとする言説です。

確かに、戦時中はそうした雰囲気が蔓延していました。しかし、高野は、戦時中の状況を根拠とした日本人論は、「対応バイアス」によるものだとして批判しています。対応バイアスとは、ある人が取った行動を、その人の本質だと考えてしまう思考を指します。対応バイアスの問題点は、当事者が置かれた状況を無視して、人の本質を決め付けかねないことでしょう。

世界の国々を見ても、大規模な戦争を行っている状態では、国内の同調圧力が強まるのが普通です。ましてや、第二次世界大戦は総力戦でしたから、その傾向はより一層強かったと考えられます。それに、戦時中だけを見ても集団主義的ではない事例は複数挙げられるため、こうした日本人論はバイアスがかかった見方だと言えます。

実は、日本人論がアメリカによる差別の一端として広まったことも、戦争と無関係ではありません。
アメリカ人による日本人論の代表例として、文化人類学者のルース・ベネディクが1946年に出版した「菊と刀」という本がよく挙げられますが、ベネディクト本人は日本に行って取材したわけでもなく、もっぱら文献に基づいて日本人論や日本文化論を展開していました。つまり、本物の日本を見て書かれた本ではないのです。そして、この本で描かれている日本人の姿は、お馴染みの日本人論と合致します。
これに関して高野は、「個人主義のアメリカが集団主義の日本を打ち負かした」という構図が当時のアメリカでは信じられていたため、「菊と刀」は注目されたのではないかと指摘しています。
当時の日本でも、哲学者の和辻哲郎や民俗学者の柳田國男がベネディクトの言説を批判していたものの、敗戦により自信を喪失した日本人自身も、アメリカからやってきた「日本人論」を信じるようになりました。
こうして日本人の間でも定着した「日本人論」は、その後の日米関係にも大きな影響を与えたのですが、詳細な内容は、是非とも本書を読んでお確かめください。

総合的な感想を述べさせてもらうと、本書で展開された日本人論批判は、私が以前から抱いていた考えと概ね一致するものでした。
アメリカを含めていくつかの外国に行ったことがありますが、どの国にもタブーや同調圧力といったものは存在します。そして、それらの内容や程度は時代とともに多少は変化するものなので、特定の習慣等を取り上げて「◯◯人論」を展開することは、あまり有意義なこととは思えません。
日本社会の問題点を指摘するのは必要なことですし、私もそれを中心に活動していますが、一面的な「日本人論」に陥ることは避けようと、改めて思いました。

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