若者へ告ぐ。東浩紀こそ若者潰しの源流。批評家の僕がゲンロンカフェへ「出ない」理由。

 意外なことに、若者代表である「東浩紀こそが」若者たちを蹂躙し潰してきた最悪な「非誤配的な人間であること」は疑いようのない。

 ゲンロンカフェが本当の意味で批評的な実践的空間になるには、単純な話し、誤配の届く仲良し空間を作ろうといった微温な空気を完全にやめて、東浩紀が徹底的に嫌うような人間たちの登用以外に考えられない。東浩紀の排除こそが、皮肉なことに、真なる誤配空間であるという事実が存在するだろう。誤解してほしくないのは、僕は東浩紀のアンチですらない。彼の言っている誤配理論は、元々、東浩紀のポジションを無視した、確実にほぼ無理のある話しであると言っているのだ。

 なぜ彼の周りの若者たちでトラブルが絶え切れないかを具に指摘しているまでだ。

 なぜ高尚なことを垂れ流す黒瀬陽平は最悪なアカハラをし、なぜ高尚なことを垂れ流す宇野常寛のプッシュするコンテンツ、テラスハウス&ニュースピックスは木村花自殺&箕輪厚介セクハラを招くのか。もちろん他人には厳しいにも関わらず、微温な空気の彼らお弟子はきっと自分の総括からはくだらなくも逃走するだろう。

 そして、東浩紀の弟子筋いやかわいがりをされた若者たち。宇野や濱野、藤田、千葉、中国の研究家(思い出した。福嶋亮太だ!)はなぜ感謝すべき東浩紀を物の見事に裏切ったのか。(いわゆるゼロ年代組というヤツである)。そこには、東浩紀の天才性とその限界が如実に出ている。

 単純な話し、彼の指摘するポストモダンは、ポストモダンと言い切って偽装された大きな物語、悪質なモダン主義、家長主義であるということだ。「批評なんてこんなもんだ」と、あ・え・て・簡単に言い切ってしまえば、

東浩紀は相対主義者で寛容で若者の味方を演じているだけで、本音と彼の思想性は、全く性質が真逆だ。むしろ大きな「嘘つき」であって、絶対主義者で独裁的で権威になりたがる人間なのである。

 「誤配」とは言い切ってしまえば、誤って配られるミスリードで自分の階級、ポジションをバエるようにする、二枚舌の詐欺に他ならない。オンライン・サロンや宗教ビジネスにならざる終えない宿輪から逃走しようとする、オンライン・サロン及び宗教ビジネスということだ。昔、東浩紀の話しを批評に関心のない旧友へ話したとき、「そんなの宗教だろ」と看破されたが、冷静になって批評史を考えると、「うん、そうだね」としか言えないのではないか。(批評は宗教を批判する宗教であるけれど、どこかに宗教性があることは否定できない。反権威で子供であることは大切だが、子供であるためにも、大人も演じてみることが大切だ。)。

 子供になるには、子供であることの「デミリットも」しっかりと享受する。そんな「大人」にもならないといけない。これなら、まだ党派性や宗教ビジネス性を露骨に出しているニュースピックスやホリエモン、箕輪厚介の方がマシかもしれない。なるほど、彼らは胡散臭く中身が無さそうだが、ここまで分かりやすく清々しい思想の体現者たちを僕は知らない。彼らの子供で何が悪いの?に完全同意する気は無いが、子供が子供らしく全力で弱点もさらけ出す姿こそ、真の世論の勝敗を超えた批評家、知性の形である。

 一方で、東浩紀は、自分の負けを認めることができない。駒場を出たら、統計的な話し、そんな高学歴エリートは、人口の0.1%ほどしか存在しない。東浩紀的リベラルの正しさなぞ、超超エリートにしか不可能だし、概ね満足すべきだ。それなのに、そのランクでは満足できえない。もっと勝ちたい。高みを知りたい。この優等生を笑う優等生め。東大空手部、東大みかん部、東大ポケモン部(失笑)。(テメーらスベってるぜw)。東大生の東大批判ほど疑わしいものはない。批評空間の雑誌に20代で華麗にデビューし、『存在論的、郵便的』という今でも読まれ続ける極上の哲学書を世間へ提出した。それでもやっぱり満足できないから、師匠筋である柄谷の独善性を批判し、「オタク」の方へ舵を切り、今度は大衆受けを狙い、結局のところ、柄谷笑いの柄谷知らず。なんたるオイディプス神話か。アンチ・アンチ・オイディプスか。柄谷の独善性を批判した若者が、今年を取って後ろを振り返った瞬間、「オタク」としてのゼロ年代の若者たちから柄谷と同じ独善性を猛批判されて、柄谷以上に如何しようも無いことをしでかしてしまった。

 あんまり言い過ぎて、東浩紀とその宗教信者どもに表面上ブチギレられたらどうしようもないが、黒瀬陽平のアカハラ事件は、東浩紀の振る舞い方をただ単に黒瀬が模倣しただけだろう。どこまでいっても、悪質な子供。クチが上手いだけの子供。文章では上手いことを理論的に逐一表明するけれど、現実の実践では、はるか遠いクチの上手い自分のポジョションを使って、迷える宗教徒、メンヘラの信者をコントロールする。

 いやいやいや。ホリエモンや箕輪こそが、本当の子供かもしれないが、東浩紀やその弟子筋は、みんな純粋無垢な子供のフリをした「ガチガチの大人」である。つまり、勝ちたがりである。ただオタクで文化系だから分かりづらいだけであって、むしろ勝ちたがりのために、自分自身が傷つきたくないがために、非ビジネスな批評を選択したにすぎない。人間みんな欲望あんだろと開き直ったガキであるホリエモンたちの方が、かえって非ビジネスな機微も分かっている。

 若者よ。騙されるな。若者よ。憧れるな。彼は、コロナの問題は、「病気を完全に消せない歴史をみんな忘れている」と今度はブレにブレて保守じみたことを近年、矛盾にもポモのフーコーを引用して、ボヤいているが、「いや待て」と言いたい。東浩紀、貴方こそが、芯となるものがないのか?なるほど、リベラルの言っている理想主義は、今は通用しないだろう。だけど、どうしてすぐに安易に転向した「フリ」をするんだね?正しいだけの議論をするんだね?

 若者よ。もう一度だけ言おう。素直に僕は東浩紀に勝ちたいから言っていないことを宣言する。僕だって批評にハマった矮小なただのそこらへんにいるガキにすぎないんだ。

正しいことを言っている人間こそが、信用しちゃあいけないよ。

 その場その場で正しいことを言うことは一見賢いように見えるけど、本当は最強に大馬鹿者だ。東大も否定し、批評空間も否定し、今ではオタクまで否定してしまっている東浩紀。ゼロ年代を失敗だったと言い切る東浩紀。いや待ってくれよ。ただのオタクだった俺が今考えることを学べたのは、あのゼロ年代のテキストたち、そしてあのシーンに登場したかつての若者たちだったのだ。そこには感謝しているが、すぐに「政治的正しさ」を彼は優先し、彼は読者たちの存在自体すら抹消したようにピューと次なるカネの匂いのするジャンルへ足を高速で闘争するのだ。卑しいとはまさにこのことだろう。フォロワー稼ぎを近年批判する老害じみたことを正論じみて言っているが、昔のオマエこそが、そのフォロワーを稼ぎをする東大&大衆受けという真なる承認稼ぎぃじゃあないかよっ!おいおいおい!

 誤配、偶然の出会いとは、平和9条と同じ建前であって、建前は確かに大事だが、政治的に批判できない正しさを、柄谷から宇野まで、東の大人から子供まで振り回してしまったら、みんな呆れて嫌がるのは当然だ。左翼の最悪な振る舞いを最も体現しているのが、東浩紀であり、年齢的には作者こそが若者だからこそ、あまり根源的青すぎる東浩紀を甘やかしちゃあいけないと3周ぐらいして、思うようになった。僕は「誤配のために」東浩紀を否定する。これは、東浩紀ディスでは、ない。ただの哲学的実践だ。そして、僕は勝ちたがりの意味で有名になる気もないし、そして、馬鹿な弟子なんかいらない。

 話しは少しブレるが、僕は実のところ勝ち組だ。人間関係や金銭、仕事に満たされて、細やかに暮らしている。しかし、ここでの勝ち組とは、ありきたりな勝ち組を意味しない。自分で自分の人生に満足しているか。これだけである。ようは、「自立」をしているかどうかだ。自立は、東大へ出たり、エリートサラリーマンになったり、世俗へ媚びることではない。自分で立つ。これだけだ。とどのつまり、今イチバン日本で嫌われているであろう坂口章(不謹慎系炎上系ユーチューヴァー)こそが、ある意味で自立している。自分の意見を言って、そして、その意見と一緒に立つこと。ジャスファイ、正しいかどうかが重要じゃあない。ただ自分の手足でもがいて立つこと。ただその行為自体が立派であって、ポモの癖に、(いやポモだからこそか?)わざとデリダじみた屁理屈を並べることが、政治的な正しい大人を演じることが、自立なんかじゃあないのだ。それは演技という詐欺であって、本当の大人なんかじゃあないし、演技で承認欲求を稼ぐことしかでき得ないから、ホリエモンや箕輪厚介のように本当の子供であることもできない。

 巨人の長嶋は三振をしても、カッコが良いとよく言われていたのは、命いっぱいフルスイングして、ぶっ倒れるその一打席一打席の、その生き様がカッコが良いからである。彼の成績がスゴイから、彼はヒーローになったんじゃあない。むしろ失敗することを恐れないから、みんな好きだったんだ。ホリエモンはインサイダーで刑務所へブッこまれて、箕輪はセクハラで潰された。だけど、昔のビジネスしか知らないホリエモンよりも、今のホリエモンの方が、人間としては面白い。政治的には弱くなったかもしれないけど、どこか一皮剥けた面をしている。箕輪厚介もきっと蘇るだろう。東浩紀は箕輪厚介をずっと失笑しているかもしれないが、そして政治的にはそれが正しいだろう。だけど、きっと箕輪は失敗まで保身をしない自分で勝負するからこそ、人間的にはめっちゃ面白いヤツになっている。東浩紀にはコレがなかなかできないし、もっと言えば、東浩紀なんてまだマシで、左翼やリベラルとか抜かす連中の大半は、ただ「負けること」を怯えている。

 死ねば助かるのに。

(もちろん比喩的な意味で。揚げ足とるなよオタンチキー)。勝ちたがりの人間が最後に辿り着く恐怖の感情。アンタはただ優秀だから、勝ったんじゃあない。アンタの背中はただ怯えている。

 若者である僕は何か機会があったり、カネを出して、ゲンロンカフェに出るかもしれないし、実際、ゲンロンカフェのイベントの客としてかなりカネを費やし、ぶっちゃけ東浩紀の知性には脱帽し、愉しませてもらっている。誤解なきように宣言するが、東浩紀という天才と同時代を共に共有できたことは本当に同時代人として誇りに思う。今の世間から見たら、ニコニコのコメント欄のようなゴミみたいな存在だけど、きっと未来で最強に勝つのは、東浩紀と僕たち読者でブッチギリだろう。

 だけど。それはそれ。これはこれ。

 僕は東浩紀に依存しない。仮にゲンロンカフェへ出てもイベントへ出ても、ヘラヘラと本当は東浩紀が大嫌いな癖に、勝ちたいから東のケツを舐めて、最後は逆ギレする千葉雅也や宇野常寛みたいに二枚舌で東浩紀の劣化コピーをしない。アホか。僕は本当に東浩紀の書いてきた本が好きだからこそ、依存なんかしないし、東浩紀が成功しようが失敗しようが、マジでどうでも良い。ただテキストでしか評価しない。本当にそこでしか興味が、ない。

 小林秀雄や柄谷行人、早稲田大学のセクハラ野郎(渡部直己)、東浩紀、宇野常寛。パワハラを笑うパワハラじみたヤツら。みんなみんな批評の悪しきそのものだ。いや批評自体がどうしようもない。馬鹿ばっかりだぁ!ドイツもコイツも救われねえ。

 結局のところ、男の子の自己正当化ツールである批評なんか無くなった方がいい。

そして、微温な空気で煙に巻く古市憲寿(芸能人)や伊沢拓司(東大王)を呼ぶことが、誤配なんかじゃないぜ、ゲンロンさんよう。彼らは東浩紀と根源的に闘わない、本当の意味で、東浩紀が大嫌いだけど、東浩紀を消費したいがための、最悪で悪質な加害から逃げたい人間たちだ。(紙面と論旨の問題上、この戦時中のアイヒマン、偽善者こそ戦争推進系問題はまあ今回は省くが、左翼やリベラルの極限こそが、戦争を犯すし、左翼やリベラルがイチバン嫌う人間である)。

 僕が軽薄なユーチューヴァーを演じているのも、きっとアズマンにはなりたくないからなんだ。

 結局のところ、男の子の自己正当化ツールである批評なんか無くなった方がいい。

批評とは、是に過ぎない。東浩紀(40〜)といういまだに若者キャラを演じるイタい馬鹿を超えてこそ、批評の健全性が宿るだろう。

  

 

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