❰知の斬新的横滑りへ❗① 偽善VS偽悪の不毛、 オディプスチャイルド、過去 ❱



古田更新の論画①

 
 まあそもそも今の社会というものは、
いくらピュシス自然界のカオスとか
宮崎駿的な自然界に対する要求、
文化左翼的な何か平和9条を取り戻せ
という空虚な回転している駒のような
何かそういう平和やコトバは空しく、
蒸気になってしまうかんじで、
もはや頭の中の妄想にすぎないのが現代。

 どういうことか。ようするに、
偽善を希求することがパッケージ化していて、
もはや全て商品、言ってしまえば、
彼らの否定する資本主義や偽悪な動物の
部分集合、一部に帰属してしまう。
即物的な斬新的な道具的な
一種のインストロメンタル、
商品として彼らの発言は全て回収されている。
つまり、むしろインテリキャラは
自分たちが上にいて商品でありながら、
偽善的に発言するという、承認欲求を満たす、
お互いに誉め合う
回転する駒のような一種の袋小路。
いや自分たちが悪だったんではないか、
一種回って実は前に進んでいるようで
円を描いていたようなとりどめのない
意味のない虚無。
茶番だったという連鎖、
まさにカオスチャイルドと言わざるおえません。

 オディプスチャイルド的な社会、
じゃあ偽悪的に、偽善が茶番だと分かった、
動物的に資本主義で他者を潰し巻くって、
開き直れば良いのだろうか?
何か屁理屈を言いまくって、合理主義に
世の中を利用しまくればよいのだろうか?
即物的に自分を満たせばよいのだろうか?

 一方で、偽悪も堂々巡り。
たとえば、前に進もう進もうとする会社人。
日本のトップに君臨したとしよう。
しかし、海外においては、
上では無いかもしれない。
じゃあ、海外、西洋の上になろうよ。
そしたら、西洋の更に先にまだまだ、
新たな上がいるかもしれない。
それに若い人が流行が、
上の貴方を塗り替えるかもしれない。
主と奴、シュシュトとクネヒトの
終わりなき差異化ゲームの連鎖。
だめ押しに追加すると、
職におけるピラミッドを話したが、
そこにおける家族や精神や他のピラミッドの連鎖もあるという現実。全てを走り回れるわけがない。

 もはや、全てはゲームという茶番ではないか?
思い出してほしい。小学校は運動、中学校は勉強がイチバンかもしれない。
では、大学ではコミュニケーション能力かもしれない。
更には、社会人初期はコネ?では中期では、時代の感性を見抜く野性的な力。
次は何?老人になったら、死に向き合う哲学書を読む!? 老後のパッケージング。
全て意味がないと言わざるおえません。

 そして僕たちはシュミラークルの都市を、
元々自然科学と違って、社会科学や人文科学、
私たちの原理は、元々嘘で出来ていると
ソシュールやヴィシュトゲンシュタイン、
それに続く構造主義者、ポスト構造主義者は
看破した。
主観的な合理性にすぎないのだ、らしい。
 
 産み出された虚構が虚構を生み、
その虚構がまた更に虚構を生み出す、
堂々巡りが現代。
指摘しないわけにはいきません。

 そういう社会は夢が夢を作り出す。
それは連立して続く虚構の工場、
つまり、消費社会→広告社会→情報社会
そして、
物理的な拡張現実の落合陽一であること。
中心がないから、前に前に進むこと自体を
目的にする、目的なき目的。
工場の夢は夢じゃなくなるときに、
新しい夢を出し、茶化し続けるんです。
たとえば、モテモテの美少女がいると
マスメディアが作り出す。
しかし、それ自体が不確かだから、
いつか人は飽きたり逆に疑う。
そうすると、今度は新しい美少女を
設定する。ウソをバレないように、
新しいウソを塗りつぶす。
また、しかし新しい美少女は飽きられ、
また新しい美少女探しに人は邁進する。
終わりなき美少女の無限工場。
答えを先送りにすると、
ウソが現実になる。
 
 今回は過去を即興的にまとめた。
要約というやつです。行動に値する
これらの解決策は第三回目で語りましょう。
                  
           
❰10分革命🌐❱♯2 新ゲスト登場と大学超えのひろゆき⁉️



❰15分革命🌐❱相撲や政治よりアイドル、ポテチ😖❓



謎の集団❰カオスフォレスト❱とはナニよ❓




西京院大佐のブログに対する評論

<静の意見>

私の意見としては、世界最強のアメリカ様に頼っておけば、なんとかなるのでは?、あれこれ言ってもしょうがないのでは?
というものです。
私の予測なのですが、日本が武器を開発して自主防衛がしっかりできる環境にあるのであれば、アメリカに頼るVS頼らないの論争は起きてないと思うのです。
だからそんなことを考えるよりは今布団の中にこもって『俺って幸せだなー』とか考える感じでいんじゃないかな〜と思うわけです。アメリカが自己中になったら、その時はその時で残念みたいなスタンスを私は取ろうと思っています。以上、自称インテリでした。

<古多更新の意見>

[ 西京院と静の対立、の、先へ ]

 議論の仕方から二人は噛み合っていない。
結論、善悪といった二項対立は捨てよう。
正しいとか正しくないとかで、
話す事じゃない。
というより、
『1つだけ正しい』と決める時代は終わった。

 まず西京院大佐を説明しよう。
西京院は『大きな物語』の人。絶対的な正義。
国や組織、村、会社、大学といった
1つの考えに皆が従う、個性より全体を支持。

例えば、自分がリベラルであるや保守であると
西京院は語る。
それに、米従属は悪やアメリカは悪で、
反米従属は善、反アメリカは善と語り、

自身は、反米従属、反アメリカの善と語る。

 彼の主張が正しい間違えている、は、
どうでも良い。
ただ彼は、自分が1つの派閥に属していて、
反対の派閥は倒すべき悪、
少なくとも敵対や悪い奴らだと捉えて、
自分の敵は邪魔はするなと捉える。

 二項対立やイデオロギーや全体から
社会を捉えるのが、西京院大佐だ。
良いか悪いは、どうでもよくて、あくまで傾向。

 
 かたや、静。
彼は『小さな物語』で生きている。相対的な正義。
アイドル好きも二次元美少女好きも政治好きも

何でも認めてくれる、というか無関心。
でも、無関心だからこそ、
誰もがの正義や価値観を認めくれる。
正しい西京院のように、人を排斥しないだろう。

 ただ彼の正義は弱い。
皆を認めたり、無関心で放置するという事は、
自分の主張を全面に出せず、引きこもるだけだ。

例えば、静はひろゆき好きで、自分が好きだ。
ひろゆきや自分が好き、そして自由が好き
という考え方は、他者をまったく配慮してない。
つまり、正義や正しさがないのだ。
当然、周りの人間を配慮していないから、
周りの人間は納得できない。

 でも、彼の面白い所は、
自分は貴方から見たら悪!
自分の主張を認めなくて良いよ!
貴方の意見の存在事態はOK! と、認める。

ようするに、自分が正しくないからこそ、
皆は平等扱い、という、一種の優しさ。

 
 そして、残念ながら、
静の考えから物事を考えるしかない。

静の考えは、正しくない。
だけど、静の正しくない寛容さから
自分の正義をどうするか?考えるべきだ。

 理由は『大きな物語』の時代は終わったからだ。
皆が同じものを1つ信じる時代ではなくなった。

 たとえば、
西京院はDBや政治、国、映画と触れ合い、

私は東京喰種やビジネス本、英語と触れ合い、

静はひろゆきと触れ合う。

 大衆は消えて、分衆の時代。
情報革命で、皆がSNSやPCに毎日触れて、
瞬間的に
『自分の見たい情報』に接続しやすい現代は、

皆が1つの正義、大きな物語に向くのは、難しい。

 そして、Twitterの分断である。
右翼は右翼だけで引きこもり、
左翼は左翼だけで引きこもり、
学生は学生たちで引きこもり、
大人は大人で引きこもる。

 自分の見たい情報を過剰に接種できるようになったことで、1つの正義にまとめるのが難しくなって、

正義だらけ、静だらけ、
小さな正義だらけになっている。

 1つの大きな物語にまとまるよりも、
現代は分裂して、弱い小さな正義だらけだ。
だから、誰もが正しい一方で、
    誰もが他者から見たら、
      正しくない。

 細かい派閥だらけが現代だ。
なので、西京院と静は向き合い方が違うだけで、

現状の認識は同じ。

 小さな正義だらけ、
絶対的な正義はいないんだから、
自分達が正しいと主張して、
自分が認めない主張を批判して、

自分たちの正しさを目立たせ認めさせよう
とするのが、西京院。

 小さな正義だらけ、
絶対的な正義はいないんだから、
だったら、自分の正義は正しくないと認めて、
皆も正しいと現状のままなのが、静。

 しかし、両者は善であり悪である。
なぜなら、小さな正義だらけ、
誰もが正しくて誰もが間違えている現代では、

誰もが正しくない。

 だから、静は開き直りながらも、
皆、悪だし、おれも悪、なら平等で良いと
開き直り、ベターに平和的だ。

 一方、平和のため、正しさのために、
自分の1つの主張を認め、対なる考えは認めない
西京院の考えは、一見正しいようで、
悪人を決めて、悪人を排除しよう、
という、

西京院のとっての悪人から見たら、
西京院=悪 という結果を招く。

例えば、悟空は善人なのだろうか?
フリーザーという悪を結果的に武力で殺している。
悪でも倒す時点で、

フリーザーから見たら、悟空こそ悪だ。

 今は、悟空やフリーザーだらけ。
違う主張が何十万だらけ。
そんなときに、1つの正義だけを志向するのは、
残りの何十万から見て、悪人だ。

二項対立で、悟空が善で、フリーザーが悪、

といった、単純な考えではなく、
皆が正しくも正しくないという社会になっている。

 だから、静と西京院はどちらも悪人=善人で、
静は開き直っている、西京院は開き直れない。
そして、開き直れない西京院は矛盾にも、
自分を善人だとするために、
『静を否定する』という悲しき悪人になる、
矛盾を繰り返していた。

 もう、相対的に、どちらも悪と認めよう。
そして、どちらも善と認めよう。
二項対立や正義の問題はやめよう。

 ソコから
1つの正義とは違うアプローチで話し合うしかない